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主な神事及び祭事
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義経伝説
 


【御祭神】
(おまつりされている神々)

主祭神ー顕斎神として、大己貴命(オオナムチノミコト)〔大国主神(オオクニヌシノカミ)〕を、 幽斎神として、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊(アマテラスヒコアメノホアカリクシミカタマニギハヤヒノミコト) 本来の天照大御神(太陽神・男神)にして、当神社・穂積宮司家の祖先神、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、 熊野三所大権現−家都美御子大神(ケツミノミコノオオカミ)、速玉之男神(ハヤタマノオノカミ)、熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)を始めとして天地坐八百萬神(アメツチニイマスヤオヨロズノカミ)を おまつりしています。

【由緒】

創建は大変古く、平安時代中期の天暦七年(953) 〔一説によれば、天慶八年(945)〕、当時荒井の里と呼ばれた当地(現在の湯河原町福浦)で、 夜毎、海が黄金色に輝くという不可思議な出来事が続きました。

そこで、里の中でも長老として尊敬を集めていた村人が、意を決しその場所に近付いてみますと、 海上に突き出た大岩の根(岩の基盤部)に、一艘の船が乗り上げていました。

その船の中をのぞいてみますと、尊い大神がお乗りになっていましたので、その村人は大神をお迎えし、 当地の鎮守としてお祀りしたのが、子之神社の創まりと伝えられ、その村人の名を鈴木善左衛門と云い、 当社の初代神主となり、それ以来、当社の宮司は鈴木家、及びその宗家である穂積家が継承し、幕末の頃、当社の中興として藤馬穂積宜昌が迎えられ、現宮司天佑穂積宣龍に至り、その血脈法統は連綿と継承されています。

また、源義家公やその家人荒井刑部實継公一党の崇敬が篤く、源頼朝公も当社を崇敬したと云います。

【御利益】

当社の主祭神、大己貴命は、神話によれば、181人の御子をお儲けになられたと言う子福の神。そのような由来からか、古くより『子之大明神』と称せられ、また『関東最古 子授け子育ての神』と云われ、子授け子育ての祈願が盛んであり、遠方よりの祈願者も数多く訪れます。

また当神社の宮司を代々務める穂積家は、古代の大族、物部氏の本宗である穂積氏の嫡流といわれ、古神道の正統を継承する我が国最古の神官家であり、祖神・櫛甕玉饒速日尊(くしみかたまにぎはやひのみこと)以来連綿と伝えられた『十種の神宝の神法(とくさのかむたからのみのり)』を始め、数々の祈祷・禁厭の秘法を伝承し、祈願に訪れる人々に福音を与え続けています。

中でも、浄火を以て、天地の神々をまつり、人々の願いを神界に送り届けるという 『最勝王法神道大護摩(さいしょうおうほうしんとうだいごま)』は、神話にある『天の石屋戸開き(あまのいわやとびらき)』の時の、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)による御神楽にその由来を持つ由緒ある神事で、燃え上がる炎に向かい、宮司が秘咒を霊唱し、秘印を結ぶさまは、見る者を神々の世界に誘う心地すらする神秘的な光景です。

この護摩を受ける者には、祖先九代が浄霊され、諸々の願いが成就され、開運に導かれる霊験が授けられると言われています。 

【まつり】

一年の始まりである元旦には、年の初めに当たり、人々の本年の開運厄除けを祈願する初護摩が、古式のままに行われ、二月節分の日には、その年の年男も参加して盛大に追儺行事が行われます。

また古くは旧暦の六月十四・十五日に行われていた例大祭は、現在は新暦の七月最終土・日曜日に開かれ、二日目に行われる「お浜行事」は、海岸の祭場で、数基の神輿と山車がお練りを行い、お浜入りを行う勇壮な神事で、祭礼のクライマックスであり、神奈川県下でも代表的な浜降神事の一つです。

【三種の神宝】

悠久二千数百年の歴史を有する穂積宮司家には、天皇家と同様に、剣・鏡・玉の三種の神宝が伝えられています。八握神剣・八稜神鏡・八尺瓊勾玉と呼ばれるものがそれで、当神社本殿(奥の院)に奉安されています。このうち、八握神剣・八尺瓊勾玉は、当家始祖 饒速日尊以来伝えられたもので、十種の神宝の根本ともいわれる霊宝です。そして八稜神鏡は、朝廷に古来より伝わった、日月二面の八咫の鏡のうちの一面といわれ、『月輪 八稜の鏡』と称され、これは南北朝時代末期、代々南朝に仕えてきた当家祖先が、南北朝の合一後、後亀山天皇より南朝の正統を受け継がれた南帝 小倉宮良泰親王(第100代 招慶院天皇)より託された神宝と言われ、この時、この神鏡とともに、歴代の天皇が行われた『はふりのみわざ』という、天皇のみが行い、伝えてきた神法(南朝 大覚寺統にのみその正法が伝えられ、南北朝統一後、南朝の正統を受け継ぐ小倉宮家にひそかに伝えられた。)をも託され、現在まで守り伝えられています。

【はふりのみわざ】

古く大和朝廷時代より、宮中に仕える神官であった、当穂積家は、今から600年程前の南北朝時代、第五拾二世・次郎左衛門穂積重範以来、代々南朝に仕えてきました。そして当家第五拾四世・大和守穂積重勝が、南北朝合一時の、後亀山天皇の後を継がれた南朝の皇統の最後の帝とも言うべき、南帝 小倉宮良泰親王(第100代 招慶院天皇)より、皇位の象徴である三種の神器の一つ、日月二面の「八咫の鏡」のうちの一面である『月輪 八稜神鏡』と「八坂瓊曲玉」の一部を始めとする『くしきみたから』と称される宮中に古くから伝えられてきた霊宝と、それらの霊宝を用いて行う、『はふりのみわざ』という、歴代の天皇が行い、伝えてきた神法を託され、また将来この霊宝、神宝を伝えるべき人として、帝の三ノ宮をも預けられました。足利氏の天下の下、尊い皇統の身分を隠されて成人なされた宮は、育ての親、重勝の娘を娶られ、当家第五拾五世・左京進穂積重就となられました。

当家の所伝によりますと、南北朝合一の南朝・後亀山天皇から北朝・後小松天皇に後譲位があった時、皇位の象徴である神器は、代宝を譲り、正統な神器は、ひそかに南朝の末裔・小倉宮家に伝えられたと言います。

そして、南朝・大覚寺統に伝わった神法・行法、ならびに神器は、小倉宮家の血脈・法統を受継いだ穂積家に伝えられ、現齋主 穂積天佑に至るまで、連綿と継承されています。

そして、現齋主により、いつき行われる「はふりのみわざ」により、日々、人々の願い事を神界に送り届けるとともに、世界平和、日の本つ国・大倭(おおやまと)の安泰と繁栄、皇室の弥栄(いやさか)を祈願しているのです。

これらのことからも、当家に伝わる神器、はふりのみわざ、そしてその血脈・法統が、いかに尊いものかおわかりになると思います。

 

【鎮座地】

259-0311

神奈川県足柄下郡湯河原町福浦129

【行き方】

JR東海道本線真鶴駅下車、徒歩十五分、 福浦港入り口の高台に鎮座。

【駐車場】

近くに、漁業協同組合営の駐車場あり。

【定休日】

毎週月曜日